愛するひなたくんへ
2006年12月22日
ひなたくんの誕生日で命日になってしまったね。
ひなたが授かってからの役10ヶ月、
とてもとても幸せでした。
毎晩ママのお腹に話しかけました、
その日の出来事や楽しかったことなど
いっぱい話しました、ひなたはママのお腹を蹴って応えてくれました。
病院へ行って心音聞くたびに、エコーの写真を見るたびに会える日が待ち遠しく、ひなたの存在が愛おしく感じていました。
生まれる1ヶ月前からママは里帰りしてパパの独り暮らしが始まり、どうにかこうにか生活してたんやけど、
男の独り暮らしは無残なものでした。
そして横須賀のじいじから電話が来て、陣痛来てるからすぐにおいでって。
バスと新幹線と電車乗り継いで昼前、やっと家族と合流できた。
そこからが大変、立会い出産なので
パパも休む間はありません、分娩台ではなく畳で産むのです、なんぼ昔やねんとか思いながら耐えました。
そして午後3時過ぎ
ひなたは生まれましたが、泣きません。
助産師さんたちが焦り始めました
助産院は病院ではないので医療行為はできません。
呼吸をしていないのに酸素ボンベをひなたの口へ当てています。
アホかまずは呼吸させる事が先やろと思っていたら
救急車を呼んでいます。
到着したのは約40分後、道に迷いました。
当然ひなたはなくなっています。あたりまえやんけ40分も呼吸してへんねんから。
死亡確認、そしてママは気を失いました。
誕生死です。
病院やったら助かってたかもしれへん。
こうやって私たちは私たちを責めました。
ひなた、ごめんな。
何ヶ月も泣いて過ごしました。
ひなた
漢字では陽向と書きます。
お日様のように明るく、あたたかく、どんな時でも
お天道様に顔向けができるような心のきれいな人に育って欲しいと願いを込めて、陽に向かうと言う字で
ひなたと命名しました、
ひなた、これがパパとママからの最初で最後のプレゼントになってしまったね。
おかげさまで今ではあの失神事件も笑いにできるほど
明るく楽しい日々を過ごしています。
もう11年か、まだまだ死にたくはないけど
会える日を楽しみにしています。
ありがとう。